日本人はagree to disagreeが苦手なのか
某インフルエンサーの方が「日本人は”we agree to disagree”が苦手」という内容のX(旧Twitter)投稿をしていらっしゃったのが目に入り、少し思うことがあったので少し掘り下げてみます。
日本人は「we agree to disagree.(思想の違いがあるから)まずは合意できないことに合意しよう。(でも建設的な議論はしよう)」が苦手ですよね。 https://t.co/bWa9xQVSeG
— Doug@宮古島🐕 (@doughimself) July 15, 2022
しかし「agree to disagree って何??」と思う方も多いようなので、まずはそこを解説します。
Agree to disagreeに否定的な意味はない
“Agree to disagree”は英語で
という意味で使うもので、ネガティブな意味合いはないです。
実際に僕自身も英語話者が大半を占める会議中に”Let’s agree to disagree.”とサッと言って次の議題へ移ることもあります。
しかしこの「agree to disagree ができない日本人が多い」の指摘。冒頭のインフルエンサーの方のX投稿以外にも、僕は似たような指摘を聞いたり目にすることは以前にもあったんです。
ではなぜそうなるのか? 根拠をひとつずつ見ていきましょう。
Agree to disagree が苦手な日本人が多い理由
「日本人はagree to disagreeが苦手なのでは?」という感想がけっこう多い原因を考えてみました。考えられるものとしては、
- 中国から伝来した儒教文化にずっと影響を受けてきたせい
- 和をおもんじる日本的情緒が「話し合いを避けたい」「異なる意見を受け入れない」マインドセットに拍車をかけている
- 「建設的批判の受け取り方」「討論スキル」の訓練を学生時代に受けていないから
の3つあたりでは?と思うのでひとつずつ見ていきます。
中国の儒教文化に影響されてきたから
中国で生まれ東アジア全域に色濃くその影響をおよぼしてきた儒教文化では「面子=メンツ」をものすごく大事にします。
僕が仕事やプライベートで中国人や華僑のふるまいを5年以上観察してきた経験からいうと、中華系の人はとくに「公共の場で」自分の提案が間違っている、などと指摘されるとかなりキレることがけっこうあります。
また大衆の面前でキレる人たちはたいてい「顔に泥をぬられた!」と怒りますが、この「顔」という単語がさすものがまさに中国語の面子=メンツであり、中華系の人たち(とくに男性)にとって非常に重要なものなのです。
そもそも日本語の「面子」という単語自体が中国語のメンツ(=体面・面目という意味)という言葉がほぼそのまま日本に根づいたもの(中国語のメンツの発音はmiànzi)。
その「面子」を重んじる儒教が日本に伝わったのは西暦513年ごろとされています。
そして中国・韓国やアジア各国に点在する華僑たちよりは儒教文化にしばられている度合いが弱いとはいえ、日本のあちこちに現在も儒教の教えが根づいているな、と痛感する場面は多いです。
そんな長い歴史的背景もあり、日本人の中にも大勢の面前で他者から自分と異なる意見を提示されるとムッとして鼻息を荒げる人が多いのは、まあ自然といえば自然ともいえます。
日本の「和をおもんじる精神」は健全な議論への障壁なのか
日本の「和を貴ぶ」価値観も、建設的議論がやりにくい雰囲気を後押ししているように見えます。
例えば「あうんの呼吸」「以心伝心」が日本では美徳とされます。
これらもわざわざ言葉に出さず察するスキルのほうが議論するスキルよりもワンランク上のものだと日本社会では重要視されていることの現れともいえます。
つまり自分の感情や意図を声に出してしっかり話し合う・議論すると絶対に同意しない人が出てくるので、それは和をおもんじる風土にはちょっと都合が悪いのです。
そもそも日本では率直な議論ですら「腹を割って」話し合うという表現にみられるとおり、相当な覚悟がないとできないニュアンスがあります。
英語のjust an honest little talk なんかとはレベチ
だって腹を「割る」んですよ。HARAKIRI覚悟です
そしてこの「正直に話し合うことを避けようとする文化」がもっと先鋭化し、たどり着いた最終形態があの
「そんなことも言わないと分からないのか 」
の姿勢ですね。相手が話し合いの提案をしても一刀のもとに斬り捨て拒否する、ストロングスタイル。
ではここで僕の個人的な経験から「全力で議論を避けようとする日本人」の分かりやすい実例をひいてみます。
米国留学中の経験なのですが、友人Cくん(日本人留学生)が
「僕と僕の親友A(シンガポール華僑で英語ネイティヴ)がCくんの目の前でカジュアルな議論をするのを嫌って、一生懸命にやめさせようとしてくる」
ということをしていたんです。
一度二度どころではなく、毎回、なんとしてでも僕たちのたわいないやりとりを制止してくる。
なので僕と親友Aはいつも
「え? 何をCはあんなに嫌がるんだろう… 俺らなんか悪いことした?」
と不思議に思ったものでした。でも今ならその理由がわかるような気がします。
おそらく僕と親友Aにとってはなにげない建設的議論であっても、Cくんの目には危機感や不安感のトリガーを引く光景として映ったのではないでしょうか。
おそらくこういった瞬間的に引き起こされる感情って、思考や自制心でどうこうできるものではないのだと思います。
ちなみにそのCくんには日本語ペラペラの米国人ガールフレンドがおり、ある日僕が彼とガールフレンドとの間でケンカになった場合はどうわだかまりを解消するのか?と聞いたところ
口論になったらその後は話し合いなどは一切しない。
2人のあいだから険悪な雰囲気が自然に消えるのを「ただひたすら待つ」
との答えが返ってきました。
恋愛関係でのトラブル解決法ってそれぞれ人によると思いますが、2人のこの
「やっかいな話し合いは徹底して避ける方針」
には(それが決して悪いというわけではなく)、純粋に「すごく日本人的だ!」と驚いたものでした。
でもCくんの彼女は米国人だったよな?
そうなんだけど、非常に日本愛が強いひとなんです。。。もしかしたら彼女なりに日本人風の考え方をしようと一生懸命努めていたのかもしれません
じつは僕はこのような実例を見たり聞いたりしたのは一度や二度ではないです。似たようなケースを何度も見たり聞いたりしていると、
「感情表現をきちんとして正々堂々と話し合うことは、日本人にとってあまり価値がないのか?」
という気がしてきます。
建設的批判とロジカルに討論する訓練を受けていないから
これは英語圏の国と日本との文化背景の違いですね。
米国では小学一年生からその手の訓練をずっとやっている。まあ雑に言うと「ディベート慣れ・討論慣れしてる」わけです。
かたや日本ではどうかというと、その手の訓練はほぼほぼされないまま成人し、いきなり実社会へ放り出されます。そしてそのあとは…まあ、皆さんご存じのとおり。
Agree to disagreeができないと出世しにくくなる
このagree to disagreeができないとどんな不都合が出るのか。
まっさきに思いつくのはやはり「SNSで対立を生み他人と衝突する」かと思いますが、それだけじゃないです。けっこう大きな問題としてはズバリ、
出世しにくくなる (とくに外資企業、それも日本国外にある非日系組織だとほぼ確実にそうなる)
が挙げられます。ではなぜ出世しづらくなるか? それは
agree to disagreeできない、もしくはぐずぐずと議論を引き延ばそうとする人員は組織のリーダーとして
マネジメントの一翼を担うに足る『議論のおとしどころをつける理性』と『引くべきところで引く胆力』を持ち合わせていない
と経営層から判断されるからです。
日系企業はリーダーシップスキルを重視しない組織も多いのでそのへんを心配しない人も多いと思います。
とはいえagree to disagreeをサラッとできることは洋の東西を問わず、組織のリーダーとして必須といってもよいスキルなので、持っていた方がよいことにかわりはないです。
仕事の現場でagree to disagreeできないことからくる不利益については以上のようなところだと感じます。
Agree to disagreeできない、その裏に隠れた感情とは
ではここでagree to disagree できない心理のその裏にかくれた感情について掘り下げてみます。
いろいろな感情が複雑にからみあっているのですが、その中でも「おもなかくれた感情 3つ」にしぼって掘り下げてみます。
ジャッジメンタルな思考に陥っている
まず”judgemental” (ジャッジメンタル)な思考とは何か?について解説します。
英和辞典を見てみるとよく
【形容詞】批判的なの意味
とだけ書いてありますが、実際は”judgemental”は英語圏ではあまりよくない意味の言葉です。すなわち、
- 自分の思い込みで他人を決めつけレッテル貼りをする
- 自分とは異なる意見を尊重せず、短絡的な言動をする
を指すニュアンスを持っています。
しかし疲れているときや心が弱っているときには誰しもこのジャッジメンタルな思考におちいってしまいがちです。
議論でムダに勝ちにこだわり大局を見失っている気がする時は、自分がジャッジメンタルなものの見方に陥ってないか自らをふり返ってみる必要があるのかもしれません。
自分と意見が違う相手を「人格攻撃」してしまう
人格攻撃とは、「相手の発言の内容とは関係ない話し方・容姿・性別・人種、などといった『相手の属性』を攻撃すること」。
とくに米国・英国などの国々ではこの「人格攻撃」(= character attack)は軽蔑されます。
これは議論に勝てないことがくやしいから人格攻撃に走る例が多いという事実をよく知っているからこそ「情けない・見苦しいやりかた」として眉をひそめているのだと思います。
Agree to disagreeせず議論を引き延ばしてでも勝ちにこだわるその裏には、今自分がやっている議論に負けている、あるいは負けそうなのが耐えられないからつい人格攻撃してしまいたくなる感情もひそんでいます。
「自分と意見が違う人は敵」の感情の裏に隠れた「恐れ」
「自分と意見が違う」というだけで相手は敵だ、と構えてしまう人ってけっこう多い気がします。
しかしその本人が「こいつは自分を否定してくる敵だ」と自分の心の中でこぶしを振り上げてファイティングポーズになってしまっていることに気づいていない、というのもじつはよくある例です。
でもちょっと待ってください。
僕達と異なる意見を述べている人達には、おそらく僕らが知りえないようなその人達だけのストーリー(事情)があります。だから異なる考えを持っていて当然なのです。
そんな時は少し引いて3回だけ深呼吸して、こう考えてみて頂きたいのです。誰も僕達の存在を否定なんてしていないし、怖がることはないのです。
その場の議論とは関係なく、何かほかの原因のせいで日常感じている漠然とした恐れ。そして恐れからくる苦しさ・つらさ。それらの感情がagree to disagreeできない心理の裏に隠れていることがあります
*この辺りの考え方は後で紹介する森田汐生さんの書籍「怒りの上手な使え方」に解説があります。
Agree to disagreeができる人になる方法
Agree to disagree ができるということはつまり
「自分と異なる意見をもつ相手の立場と意見を尊重し、大人の対応ができる」
ということ。
これができるようになるための助けとなることはいろいろとあると思いますが、とくに「実践的・テクニック的な意味で」3つの心理スキルを紹介しようと思います。
アンガーマネジメントを学ぶ
アンガーマネジメントはざっくりいうと
「自分の中の怒りを理解し、怒りと上手につきあいコントロールしてゆくためのスキル」
わりと広く知られているアンガーマネジメントスキルのひとつに
「怒りを感じた瞬間に6秒間心を落ち着けながら必死で数える・もしくは何か言い訳をしてとにかくすぐにその場から離れる」
というテクニックがありますが、これはかなり使えます(僕も7年くらい昔に学んで以来使っています)
僕は日本アンガーマネジメント協会の創設者・安藤俊介さん主宰の研修に出たことがあり、ご著書の「アンガーマネジメント入門」を読了しました。興味ある方は☟下リンク先をご覧ください☟
アサーティブコミュニケーションを学ぶ
アサーティブコミュニケーションとは、かんたんにいうと「相手の立場と意見を尊重しつつ自分の意見を伝えるスキル」。
アサーティブコミュニケーションは僕も今勉強中なのですが、これは個人的に興味深い分野だと感じています。
関連書籍としては森田汐生さんのご著書「怒りの上手な伝え方」が実践的でよいと感じたので興味のある方は☟下リンク先をご覧ください☟
エフェクティブコミュニケーションを学ぶ
僕自身も前職勤務先にすすめられてエフェクティブコミュニケーション(Effective Communication)のトレーニングを受けたことがありますが、これは「話術」を磨くだけではないです。なぜなら、
相手の話をよく聞き理解する練習と話術の練習が「必ずペアになる」
からです。
「よりよく聞き・話す」訓練で自らのコミュニケーションスキルを高めれば心にゆとりも生まれ、次に議論の場に入った時の緊張レベルも下がります。実践してみた感想として、
「コミュニケーションスキルを上げることによって、自分と異なる意見をもつ相手を前にしても冷静に対応する心理的ゆとりが持てるようになる」
という実感が持てるので一度経験してみると良いトレーニング法として紹介しておきます。(特定のおすすめの書籍や団体はよく知らないので追って追加していきます)
まとめ
では今回のまとめです。
「自分とは異なるものの見方」をときには真剣に検討してみること、それは一見小さなことのように見えるかもしれません。しかしそれができるということは、心理的に成熟した大人である大きな証のひとつだと僕は考えます。
あなたが自分と異なる意見を持つ人と向き合ったとき「一瞬の怒り・不安・不満に心を支配されただ振り回されるだけの無力なひと」にならないための一助にこの記事がなれば幸いです。
今回は以上です。最後まで読んで下さってありがとうございました。